角塚古墳へ

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分類学taxonomyにおいて、過去は記憶、未来は夢である。
角塚古墳に、過去へ千五百年の時空を遡って胆沢扇状地を訪問した。
秋田県横手市から青い山脈を越え、岩手県大船渡市に通る有名な古道
の途中にあり、塩や産品の物流街道であった。
現地を訪れると、競馬場や天文台や名跡が点在して、
角塚古墳の本当の名前も埋葬者のことも、いまは誰も知らない。
列島北限の前方後円墳であるとわかったのは衝撃であるが、
いろいろな謎が解けず、アテルイの墓か?とか、いわれる。
年代的には、どうか?
山内丸山古墳群 紀元前3000年の前 
角塚古墳造営 紀元500年代前後
鳥矢ガ崎古墳造営 約700年頃か
桃生柵造営 760年
秋田払田柵造営 801年
胆沢城柵造営、802年
阿弖流為氏、母禮氏の降伏は、802年
鳥海柵造営 1050年頃
金色堂造営 1124年
頼朝平泉攻略で、義経逃亡は1189年
墳墓の上部は葺石で覆われ、方位も北を向いて正式に造られている。
胆沢川から石をここまで、みんなで一列に並び手渡しで積んだものであろうか。
通行の激しい幹道の傍に造営されるものは、政治的商業的アピール
と思われるが、埋葬者の謎は解けるか。
水沢周辺に住まう多くのジャズの客人を思い浮かべ、
DNAの因果などを考えると、当時流行の文化が楽しい。
噴墓の中央に、大きな木が1本生長し、大切な目印になった。